沖縄三線の由来
TRAD JAPAN、今日は三味線がテーマだった。もともと沖縄三線がもとになっているという。
日本文化を外国人に紹介するための番組であるが、日本のことをしるための勉強でもある。
日本と西洋の違いでは、「ならう」と「learn」の説明があった。
日本語の習うはlearnとstudy両方の意味を含むと言う。
study=spend time investigating a subject
物事の学習に時間を費やす。それが身につくかどうかは関係ない。
learn=get knowledge and skill.
知識や技能を習得すること
日本語のならうには模倣、慣例、習得の字が当てられる。(沖縄三線もある)
先生の言うことをまねて、なれて、会得することがならうといえる。
例えば「習字」などはまさにこのプロセスかもしれない。
この定義では、studyは少し立場が悪いようだ。
他の参考書にも、learnは習得したことを伝えるので、
I learned English, but I can't speak English.とは言えないと書いてある。
一方、ドイツ語のstudieren(シュトゥデーレン)は大学で勉強していることを表しているので、高校生以下には使えないことは、30年前にドイツで聞いた。
これは英語とドイツ語の違いなのだろう。沖縄三線含めて奥が深いな。
沖縄三線レコーディング
沖縄三線レコーディング完了。
結局借り物の沖縄三線でピックで弾いたテイクでOKを頂いたので、三線の出番は今回ありませんでした、沖縄三線奏者デビューです。
テキトーな業界と思われるとアレなので、裏話はmixi日記だけにしておきましょう(笑)。
しかしピックでの模擬動作とはいえ、皮をひっぱたきながら弾いた時のあのピシィというサウンドはキモチイイですね。
本来のバチを当てる角度とか左手の運指とか可能な限り研究をして臨んだので、まぁ津軽三味線だと言い切ってしまえば録音物を聴いた限りではバレないでしょう、アレンジャーの先生からも「ピックで弾く人は初めてだ」と言われました…沖縄三線弾くのが初めてだって事は内緒ですよ(´ψψ`)
ともあれ、事故もなく無事に終えてホッとしました。
沖縄三線について語る
沖縄三線
今では少なくなったが時代劇には欠かせない楽器。
新内流しで弾き語りの三味線弾きと座頭は付きもの。
座頭とはメクラの按摩さん。
マッサージ師だね。
町中を笛を「ピーッ」と吹きながら客引きをする。
宿場の夜の戸張の中を人の行き来する中で。
風情があって良い眺めの画像になる。
時代劇はそんな小道具が沢山有る。
若い人たちが現代劇を見ていて画面に出てくる一つ一つのアイテムを理解しながら場面の変化を楽しめる。
時代劇にも色んなアイテムがふんだんに使われて其れが何かを知っていて理解しながら見ると何倍いや何十倍何百倍か楽しめる。
外国人では若い人でも川のせせらぎや瀬味の鳴き声がうるさく感じる人が多いらしい。
俳句などでは花やモノの匂いや風の音 虫の鳴き声や鳥のさえずりなどを喜吾などとして入れて作る。
そう言う繊細なココロが日本人の心根と言うモノかな。
テレビ見ていてもタダ音が大きくてテンポの速い楽曲を流しまくり。
コレでは助絵莇ね何も有ったモノではない。
あのテンポとあの大きさがいつまでも残り其れで生活すれば怪我もし易いのではないかな。
私はテレビが無い。
家の中は私の出す音だけ。
時々歩く足音やオナラしたりゲップしたりする音くらい。
時には耳の中で「シーン」戸下音が聞こえるだけ。
コレは音ではないね。
外からはタマに通る人の足音と車の走る音。
こういう中にいるとココロが落ち着く。
無添加シャンプーにも最近ハマってるけど、沖縄三線でも鳴ったらいい気もとに成るだろうな。
沖縄三線の練習
沖縄三線で練習しなきゃならん曲はいろいろあるけど、
この曲はいつかモノにせねばと思う曲のひとつ。
初めて聞いたんは、伊勢の沖縄三線の会を聴きに行った昨年秋。
いい歌だな〜って思ってたら、
うちの沖縄三線の会でも練習しましょうってことで練習曲になった。
古謝美佐子のオリジナルで、夏川りみとかいろんな歌手も歌っているのは
徐々に知るところになったが、
いわゆる歌手が歌うってのを聞いた事がなかった。
なんしか、沖縄三線の手と歌詞を覚えるのに精一杯。
今、遅ればせながらユーチューブで聞いただよ。
いやはや泣ける ありがたさで泣ける きれいで泣ける
これは歌ってても泣けて困る曲なのだが、古謝美佐子の歌はたまらんね。
万人の涙腺を揺さぶる・・・はず。
泣かずに歌う練習ってどうしたらいいんやろうと悩むところだ。
お土産に沖縄三線
2/6(月)〜9(木)の3泊4日、サークルの沖縄遠征でした。
6(月)
セントレア→那覇:シートベルト装着にあたふた。
夕食の居酒屋:その店では店員さんが三線を演奏し、沖縄の歌を歌ってくださった。ただ、自分と1年N実によって「はいさいおじさん」→「変なおじさん」に。自分爆笑。さらにAKBの曲名になんでもかんでも「おじさん」を付け始めた自分。おじさんローテーション、大声おじさん・・・。
最初の酒で菩薩と化した4年T内君。翌日以降T内はアナゴさんと化した。
7(火)
グループ別行動。午前中は名護の日ハムキャンプへ。ブルペンを覗いたり、ハンカチを見かけたりしたのち、雨のため美ら海水族館へ。癒される。その後どこかの島へ。でも雨風によりすぐに帰る。夕食はSAでソーキそば。
8(水)
まず全員で中日のキャンプ地の北谷へ。全員で撮影。中日のキャンプを40分見たのち、T内と行動。11時〜12時は沖縄市の広島キャンプ。
午後はがっつり宜野湾の横浜DeNAキャンプ。ラミレスがインフルエンザからちょうど復帰した日。運良く見れた。中畑監督マスク着用。サブグランドでの内野手へのノックで白井コーチの声がよく響いてた。日ハムからの移籍組の林、菊地からサインをGET。
夕食はほぼ全員で沖縄三線居酒屋へ。店内の沖縄三線でT内と残酷な天使のテーゼを替え歌(トゥーゼ)にして歌う。なぜか98点。
沖縄三線が効いたのか。
その後、国際通りにてアコムマスターカードで沖縄三線のお土産を買う。
9(木)
給油:沖縄のフルサービスのガソリンスタンドは窓拭きをしないのだろうか。スタンドでバイトしている人間として疑問に思った。
帰路。乱気流に酔った。
そんな4日間でした。沖縄は意外と寒かった。
その3日後、もっともっと寒いところへ行くのだった。
沖縄三線と美味しい料理のライブ
今日は、「沖縄三線と美味しい料理のライブ」で、
ゲストは、鈴鹿出身、テレビやラジオでも活躍中の「たなかつとむ」さんでした。
この方、昭和49年鈴鹿に生まれ、14歳でドラムに、15歳でギターに、
16歳でべ−スを手にし、音楽の才能を開花、天才を自認する。
ありとあらゆるバンドを経て、黒人ミュージシャンのローディーを経験し
日本人の限界を悟り天才の辞任に至っています。
19歳で沖縄三線に出会い日本の芸能に目覚める。
「努力」「根性」「根気」の類を全く持ち合わせない類まれな性格で広く浅く音楽を模索。
三線、和太鼓、パーカッションと楽器も幅を広げ、挙句の果てに調子に乗って唄いだす。
演出、編曲、作曲、監修と音楽活動を広げ、
現在は講演や演芸にも力を注ぎ、優良納税者を目指し活躍中。
…なぁ〜んて、すごいことを書いておりますが、
なんと、「どまつり」の「sutotoco」の作編曲者とか
いつも練習時には、この曲踊っていますぅ