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1.エイサーの歴史
エイサーとは
沖縄本島や周辺の離島で盆に行われる踊りを「エイサー」といいます。太鼓を打ち鳴らし、若者達が「エイサー、エイサー」と掛け声を掛けながら踊ります。
精霊の供養を目的に踊られ、掛け声に由来して「エイサー」と言われています。また、『おもらさうし』巻十四の「ゑさおもろ」の「ゑさ」にその語源があるとする説もあります。
夏の夜に響き渡る強烈な太鼓のリズムと「エイサー、エイサー」「ヒヤサーサー、エイスリサーサー」の掛け声とにぎやかな指笛、流れる汗をものともせず踊る若者のエネルギッシュな姿は、沖縄の夏を彩る風物詩となっています。
エイサーはもともと念仏歌で踊られていましたが時代の変遷に伴って大きく変化してきました。特に戦後はコザ市(現沖縄市)が主催したエイサーコンクールで、各地の青年が青年会活動の一環として精力的に取り組み、現在のようなエイサーの形が作られてきました。精霊の供養を目的として、念仏歌で踊られていたエイサーに流行の民謡、恋歌、めでたい内容の民謡まで加わり、それに相応しい振り付けがなされて最近ではお盆以外のめでたい場所でもアトラクションとして踊られるまでになってきました。
エイサーは、地域の青年の連帯感を生み出し、地域活性化の一翼を担っています。青年の創造的な取り組みによってエイサーは現在でも変化しつつある民俗芸能なのです。
沖縄の仏教史
現在のエイサーの音楽・歌詞の大部分は、恋歌や流行の民謡で、念仏歌はわずかしか演唱されていません。かつてのエイサーは念仏歌だけで踊られていてエイサーは念仏踊でもあります。
エイサーの歴史を知るには、まず、沖縄の仏教史についてふれなければなりません。
沖縄に仏教が伝来したのは13世紀のことです。英祖王代に異域から一人の僧が渡来しました。王は、浦添城の西に寺を建立して極楽寺と称しました。極楽寺は後の尚円王の時代に龍福寺と改められました。琉球の歴史を著した『球陽』では、察度35(1384)年、頼重法印が入滅したことが記されています。尚泰久王代(15世紀)には京都の僧、芥隠承琥が仏教を伝えるために来島し、王はその教えに帰依し、広巌寺、普門寺、天龍寺を建立しました。
尚真王代になると、琉球の寺院の中で最大の規模を持つ円覚寺が建立されました。円覚寺は、尚円王の霊を祀るために建立され、1494年、芥隠を開山住持としました。円覚寺は、臨済宗の琉球での総本山で山門、仏殿、方丈、鐘楼、庫裏、獅子窟、御照堂など七堂伽藍が配置され、僧侶が300余人、経巻3000余巻、五山の例によって僧は黄衣を着けたことが「諸寺旧記」(『琉球国由来記』所収)に記されています。
尚寧王代の1603年、渡唐を目的として琉球に渡ってきた袋中上人は、浄土宗を伝えました。袋中に帰依した尚寧王は、桂林寺を建立し袋中を住持にしました。袋中は琉球に3年滞在し、京都へ戻り、寺は退転しました。袋中の教えは、彼が作ったという和讃念仏によってわずかにニンブチャー(念仏者)集団によって諸方に伝えられたといわれます。
ニンブチャー(念仏者)
ニンブチャー(念仏者)は、中世的な遊行宗教芸人の典型で、首里の郊外アンニャ村(安仁屋村。行脚村。現在の首里久場川町の一部)に住み、葬儀や法事があれば頼まれて鉦を打ち、念仏歌を歌い、ときには経文も読みました。僧のいないところでは、その代わりも務めたといいます。彼らは各地を回り彼らによって念仏歌が伝えられていきました。彼らが伝えた念仏歌は、盆踊り歌として伝わっています。
念仏歌は、「南無阿弥陀仏」で始まり、先祖の供養や、父母の孝養を奨励する内容です。念仏歌のなかでもっとも広く普及したのは「継親念仏」で、その他には「長者の流れ」「無蔵念仏」「親の御恩」「天神世界」「阿の鐘」「春咲く花」「花ぐんだん」「山伏」などがあります。これはいずれも本土系の詞章であるところに特徴があります。ニンブチャーの伝えた念仏歌が全て袋中の流れを汲むものではありません。
1663年、琉球王府は仏教の民衆への布教を制限するため、僧侶の説教禁止を打ち出しました。僧侶による布教ができなかった時代、その役目を担ったのはニンブチャーでした。彼らは各地の葬儀や法事にでかけ、念仏歌を通して仏教行事や教えを広めたことで、彼らの役目は大きな意義をもっています。廃藩置県後、ニンブチャーの活動は次第に衰微し、昭和初め頃に消滅しました。
沖縄の盆行事
沖縄の盆は、旧暦7月13日から7月15日にかけて、3日間行われます。地域によっては7月16日まで行われるところもあります。一般に沖縄本島や周辺の離島では「シチグァチ(七月)」、宮古諸島では「ストゥガツ(七月)」、八重山諸島では「ソーロン(精霊祭)」と称しています。
沖縄では、旧暦7月はご先祖や後生(グソー、あの世のこと)に関わることを執り行う月であり、この世の者の祝い事、例えば婚礼や新築祝いなどはやってはいけないとされています。
盆の一週間前の7月7日は「タナバタ」と称して、墓へ詣でて、墓を掃除し、酒や茶、線香を供え、七夕であることを先祖に告げ、盆で招くことの案内をします。
盆の期間中は、仏壇に三度三度の食事を供え、線香をあげます。盆の間は、親戚を訪ね、その家の仏壇にお供えをし、線香をあげる慣わしです。日頃なかなか会えない親戚を訪ね、旧交を温めあうときでもあります。
旧暦7月13日は「ウンケー(お迎え)」で、祖霊を迎える日です。祖霊を迎えるために、午後から仏壇を掃除し、位牌を清め、香炉を整えます。仏壇の脇にサトウキビ、アダンの実、バナナ、木の実、みかん、西瓜などを供え、提灯を下げます。祖霊についてやってくる餓鬼や悪霊に与えるものとしてミンヌクが供えられます。ミンヌクは、サトウキビやサトイモを細かく刻み、米や小豆などを容器に入れ、水を加えたものです。祖霊を迎える準備が整うと、門の前に祖霊が我が家を探しやすいようにと松明や蝋燭、線香などをたいてお迎えします。
14日は、「ナカヌヒー(中の日)」で三度の食事を供える他、間食も供えます。
15日は、「ウークイ(お送り)」の日です。祖霊をあの世へ送る日で、夜遅くからウークイを行います。
ウークイの夜は特に豪華な料理が供えられます。餅、肉、豆腐、蒲鉾、昆布、てんぷら、魚などが供えられます。家族揃って仏壇に焼香した後に、ウチカビ(紙銭)
沖縄のお盆は、旧暦の7月13日から15日の3日間に行われます。その時期は沖縄が一年中で一番賑やかになります。
まず、一週間前の旧暦7月7日「七夕」にお墓を掃除し、線香を上げ、ご先祖様にもうすぐ旧盆であることを案内することからはじまります。
その後、ご先祖様の霊を迎える13日の“ウンケー”から三日間に渡って肉やカマボコ等のご馳走や果物や菓子を供えてもてなします。
そして、最終日、ご先祖様を見送る15日の“ウークイ”に、ご先祖様の霊をあの世へお送りします。
その日は、特に豪華な料理を供え、親戚が集まり線香を上げ、戸外でお見送りする・・・三日間の中で最も重要な日です。
今ではすっかり有名になった“エイサー”。
お盆の夜は、青年会のメンバーが公民館などに集まり、歌、三線、太鼓、踊り手が縦に列をなし練り歩きます。
三線の音色に合わせて太鼓を打ち鳴らし、「エイサー、エイサー」の掛け声が夜空に響き、賑やかにご先祖様の霊を送り出します。
エイサーの歴史は、仏教と深い関わりを持っていると言われます。
1604年に浄土宗の僧・袋中上人が琉球を訪れ、布教を目的に「琉球神道記」を記した。
そして、袋中上人は沖縄の人たちにわかりやすいようにと浄土念仏に旋律をつけた「念仏歌」にし、やがて沖縄中に広まりました。
そして、念仏歌を歌う専門の念仏者が、お盆になると精霊を供養するようになり、これが現在のエイサーの起源になった、と言われています。
時代の変化とともに、念仏歌から豊穣を願う歌や恋歌などが歌われ、それに合わせるようにして振り付けがつき、芸能の性格が強くなりました。
精霊を供養するための踊りから、無病息災、家庭の繁栄を祝福する唄や踊りに変わっていったのです。
戦後は、コザ市(現沖縄市)の「エイサーコンクール」開催によって、各青年会が華やかな衣装をまとい演舞を競うようになりました。
こうして、これまでの先祖供養の念仏踊りから、見せるエイサーに変わり、誰をも惹きつける伝統芸能として名を知られるようになったのです。
エイサーは、各集落の団体の数だけ個性がある と言われます。
踊りの型だけではなく、衣装、歌、踊り隊、それぞれが演じる役どころなどの細部に注目すればするほど、エイサーをより深く楽しむことができます。
団体の人数や男女の比率も地域によって様々で、現在ではパーランクーを持った男性たちが主役的存在としてイメージが定着していますが、本島北部の地域では全ての役を女性のみで演じる風習も残っています。
エイサーが、地域によってどのように伝承されてきたか、それを顕著に見ることができるのが、地域の路地を踊り手たちが練り歩く「道ジュネー」です。
エイサー本来の姿を見ることができるだけではなく、沖縄の夏の夜に毎年繰り返されてきた儀式の神聖な雰囲気を感じることができるでしょう。
しかし、これらは各地域の人々によって行われる祭事なので、くれぐれも儀式の邪魔にならないようにお気をつけください。
路上駐車や騒音などでご先祖の魂を送る儀式の妨げにならないよう厳かな気持ちで見守ってほしいものです。
もともとはお盆の行事だったものが、長年の時を経て華やかな民俗芸能として発展したエイサー。各地域によって異なる華麗な衣装や演舞をとことん鑑賞するなら、この夏 各地で開催される「沖縄全島エイサーまつり」をはじめとしたエイサーフェスティバルにでかけることがおすすめです。
毎年、沖縄の盛夏を盛り上げる大イベントとして開催されるエイサーフェスティバルでは、全島各地からエイサー隊が集まり、それぞれの個性と技が披露されます。
太陽がさんさんと照りつける大空に、太鼓の力強い響きと、三線と唄の優雅な音がこだまします。
踊り手の汗もきらきらと光り、それぞれに異なる衣装の鮮やかさも青空に美しく映えます。
祖先供養としての儀式ではなく、華やかな祭りとしてのエイサーもまた、沖縄の夏の風物詩の一つとして私達の心を楽しませてくれます。
最後のカチャーシーでは是非一緒に踊って下さい。
現在は国内に限らず、海外でも踊られているというエイサーの独特のリズム感、そして芸能性に優れた舞と音楽を体感できます。
この勇壮な大舞台は夜まで続き、星空に打ち上げられる花火とともに終演を迎えます。
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